中古車情報検索、販売店はこちらへ
シビック 中古車から2004年におけるニッケル水素電池とリチウム・イオン電池の企業別出願件数の推移を調査した。リチウム・イオン電池関連の出願件数では松下電器産業グループ,三洋電機,ソニー,ジーエス・ユアサコーポレーションが競う状況にあり,ニッケル水素電池関連の出願件数では三洋電機グループがリードしている。
相次いで登場したニッケル水素とリチウム・イオン
ニッケル水素電池とリチウム・イオン電池が市場に登場したのは90年だった。松下電池工業と三洋電機はそれぞれ90年10月にニッケル水素電池の量産を始めた。ソニー・エナジー・テックは90年2月,リチウム・イオン電池を商品化したと発表,サンプル出荷を始めた。
プリウス 中古車,携帯電話やノート型パソコン,カメラ一体型VTRなどの携帯機器の小型・軽量化のネックになっていたのは電池だった。ニッケル・カドミウム電池は単位体積当たりの電力容量を引き上げる限界に近づいていた。ニッカド電池に代わる高性能二次電池として,ニッケル水素電池とリチウム・イオン電池の開発が進められた。
松下電池工業と三洋電機がニッケル水素電池の量産を始めた90年10月,カリフォルニア州はZEV(Zero Emission Vehicle)規制を定めた。シェアの大きい自動車メーカー7社に対し,排ガスを全く出さない自動車を98年までに販売台数の2%,2001年までに5%,2003年までに10%販売することを義務付けた規制だった。
カローラ 中古車はその後,規制内容が緩和されたため,電気自動車の普及には至らなかった。しかし,ZEV規制をきっかけにニッケル水素電池とリチウム・イオン電池は,電気自動車を主要な用途の一つに見据えて開発が進められた。
予想以上に早かったリチウム・イオン電池の立ち上がり
ニッケル水素電池は松下電池工業,三洋電機が90年に量産を始めたのに続き,東芝電池が91年に量産に入った。93年ころまでに,日立マクセル,YUASA(現ジーエス・ユアサコーポレーション),日本電池(現ジーエス・ユアサコーポレーション),古河電池,新神戸電機などが相次いでニッケル水素電池の量産を始めた。
ステップワゴン 中古車の主流はニッケル水素の時代が当分続くと考えられていたが,リチウム・イオン電池は予想以上に早く立ち上がった。91年6月,ソニーは携帯電話に初めてリチウム・イオン電池を採用した。その後,リチウム・イオン電池はカメラ一体型VTRやヘッドホン・ステレオなどに採用され,用途を広げていった。
パジェロ 中古車,東芝と旭化成は共同出資でリチウム・イオン電池の専門メーカー,エイ・ティーバッテリーを設立した。旭化成は化成品メーカーの立場からリチウム・イオン電池に注目し,開発を進めていた。
オデッセイ 中古車は93年6月に角形のリチウム・イオン電池を開発したと発表した。94年4月にニッケル水素電池の生産をフランスのSaft社との合弁会社であるジーエス・サフトに全面移管し,日本電池は95年春にリチウム・イオン電池の量産を始めた。97年4月,日本電池と三菱電機は共同出資でリチウム・イオン電池の生産会社,ジーエス・メルコテックを設立した。
ロードスター 中古車になると,三洋電機,松下電池工業,YUASA,NECがリチウム・イオン電池市場に参入した。NECは三井物産,YUASAと共に90年にカナダの電池メーカー,Morienergy社を設立していた。Morienergy社は94年10月からリチウム・イオン電池の量産を始めた。
レガシィ 中古車と三井物産が共同出資した日本モリエナジーはNEC富山の敷地内にあった旧電子部品工場を使って,96年からリチウム・イオン電池の量産を始めた。他社が正極にリチウム・コバルト系酸化物を使ったのに対し,日本モリエナジーはリチウム・マンガン系酸化物を使った。NECは98年に日本モリエナジーへの出資比率を51%から66.7%に高め,社名もNECモリエナジーに変更した。
アルファード 中古車は三井物産,YUASAとの共同出資で90年に設立したカナダの子会社を2000年に台湾の電池メーカーに売却した。NECモリエナジーはその後,NECモバイルエナジーに社名を変更,2002年にNECモバイルエナジーはすべての営業をNECトーキンに譲渡した。
日立マクセルは96年3月に量産を開始した。この年の秋に,電池開発研究所を新設し,65人の研究者の6〜7割をリチウム・イオン電池の研究開発に投入した。
クラウン 中古車が自動車向け市場を拓く
特許の出願件数の推移を見ると,96年ころに各電池メーカーは技術開発の軸足をニッケル水素電池(図2)からリチウム・イオン電池(図3)にシフトしたことがうかがえる。しかし,ニッケル水素電池にはまだ自動車向け市場が立ち上がる可能性が残っていた。
ノア 中古車は88年に電気自動車用ニッケル水素電池の開発に着手した。92年からは,通産省の補助金の交付を受けて開発を進めた。トヨタ自動車は96年1月,ニッケル水素電池を搭載した自動車13台を,日本と米国の地方自治体や電力会社向けに貸し出し始めた。
松下電池工業は92年5月,電気自動車用ニッケル水素電池を開発した。90年代半ばの実用化を目標にした。松下電器産業,松下電池工業,トヨタ自動車の3社は,96年12月,電気自動車用のニッケル水素電池を開発・製造・販売する会社としてパナソニックEVエナジー(PEVE)を共同で設立した。トヨタ自動車が97年に発売したハイブリッドカーにはPEVEのニッケル水素電池が採用された。
エルグランド 中古車の参入で供給過剰に
日産自動車とソニーはリチウム・イオン電池の開発を進めた。ソニーは92年ころに,電気自動車用電池の研究に着手した。研究には70人前後のスタッフがかかわった。日産自動車は95年の東京モーターショーにソニー製リチウム・イオン電池を搭載した電気自動車を展示,97年2月にリチウム・イオン電池を採用した電気自動車のリース販売を始めた。2000年4月にリチウム・イオン電池を採用したハイブリッド車を100台限定で発売した。
ハリアー 中古車になると,携帯機器向けリチウム・イオン電池の需給関係が緩んだ。各電池メーカーが生産能力を増やし続けたところに,中国のBYD Battery社や韓国のLG化学,サムスンSDIが参入,携帯電話機市場を標的に安値攻勢をかけた。さらに,2001年には携帯電話機の生産が2000年の生産過剰の反動で落ち込んだことが追い打ちをかけた。電池工業会の調べによると,リチウム・イオン電池の生産量は2001年に前年比6%減になった。
2000年ころからリチウム・イオン電池の市場はコスト競争の様相を呈し,利益を上げられるのは,大量生産による規模のメリットを生かせるメーカーだけになった。
ジムニー 中古車は2003年2月,リチウム・イオン電池生産の子会社,ジーエス・メルコテックの株式51%を三洋電機に譲渡した。ジーエス・メルコテックは三洋ジーエスソフトエナジーに社名を変更した。
YUASAは2000年にリチウムポリマー電池の量産に踏み出した。日本電池は産業用の大型リチウム・イオン電池に力を入れた。しかし,自動車用鉛蓄電池を主力製品とするYUASAや日本電池は,製品の価格下落が激しく,厳しい経営状態が続いた。YUASAと日本電池は2004年4月に共同持ち株会社を設立して経営統合し,ジーエス・ユアサコーポレーションを発足させた。
ワゴンR 中古車は2000年にニッケル水素電池事業を三洋電機に売却し,旭化成が保有していたエイ・ティーバッテリーの全株式を取得し,リチウム・イオン電池に特化した。しかし,2004年にリチウム・イオン電池事業からも撤退した。
自動車用二次電池で三洋電機が欧米メーカーと提携
セルシオ 中古車はニッケル水素電池でも技術開発の力を抜くことはなかった(図2)。2003年11月,ニッケル水素電池の負極に水素吸蔵合金ではなく,超格子合金を使うことで,容量を10%向上するのに成功した。超格子合金は2000年に東芝が基礎技術を開発していた。三洋電機は東芝の研究を引き継ぎ,2004年に超格子合金の採用で容量を拡大したニッケル水素電池を市場に投入した。
エスティマ 中古車から米Ford Motor社と共同でハイブリッド車用のニッケル水素電池の開発を進めた。2001年1月,Ford社が開発中のハイブリッド車に向けて電池システムを独占供給することを決めた。2002年に30億円を投じて神戸に二次電池に特化した電池研究施設「エナジー研究所」を開設した。
スカイライン 中古車にはFord社に電池システム,ホンダに電池単体での供給を始める一方,欧州の自動車・自動車部品メーカーとの提携も進めた。10月にドイツDaimler Chysler社のメルセデス・ベンツ部門とハイブリッド自動車用電池の共同開発に着手,12月にドイツRobert Bosch社とハイブリッド車用電池で提携した。
インプレッサ 中古車にはドイツVolks Wagen社とハイブリッド車向け電池システムの共同開発で基本合意している。三洋電機は2006年3月からハイブリッド車向けのリチウム・イオン電池の試験生産も始めた。